那覇市医師会報表紙
2011年 當山堅次先生 追悼号
(平成23年12月発行)
当山美容形成外科
院長 當山 護
《表紙のことば》
「ナイスショット」
父は84才迄ゴルフをやった。あれほど好きだったゴルフから足を洗うきっかけになったのは2つある。ひとつは琉球ゴルフ倶楽部の西7番を登れなくなったからである。もう1点は深いラフにボールが沈んだ時、沈痛な面持ちで「俺には出せない。手で出せばなんとかなるが、それはゴルファーではない」いさぎ良いのか信念なのか分からないが、それ以来ゴルフバッグが自宅から消えた。
親父は常々こう云った「ゴルフをしてシングルになるつもりは全くない。ゴルフは友達を作る源なのだ」「負けた時は相手が喜んでいる時、一緒に喜べるのがゴルファーの負け方だ」
写真は73才、古希記念「とうけん会」と名付けたゴルフ大会のもので、琉球ゴルフ1番teeのドライバーショットである。あの時のボールは天高く飛んでいったが、彼は天国で今頃そのボールをきっと探しているであろう。
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